Sadr al-Din Shirazi Mulla Sadra

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[57] Ṣadr al-Dīn Shīrāzī Mullā Ṣadrā, Muḥammad ibn Ibrāhīm (d. 1050/1640)
صدر الدين محمد بن إبراهيم الشيرازي ملا صدرا‏

サドルッディーン・シーラーズィー、ムッラー・サドラー Sadr al-Din Muhammad ibn Ibrahim al-Shirazi Mulla Sadra

サファヴィー朝期でもっとも有名なシーア派哲学者。

979–980/1571–1572年 にシーラーズに生まれ、文法、法学、ハディース学、クルアーン解釈など伝承諸学を学んだのち、ミール・ダーマードやバハーウッディーン・アームリー(1622没)などに師事し、いわゆるイスファハーン学派に属すこととなる。当時のサファヴィー朝のアフバール派法学偏重政策に異を唱えながら独自の哲学を築きあげた。

その影響力は絶大で、弟子に高名なファイド・カーシャーニー(1680没)やアブドゥッラッザーク・ラーヒージー(1662没)がいるだけでなく、本目録で採録されているカーディー・サイード・クンミーフサイニー・アルダカーニーアリー・ヌーリーアブドゥッラー・ズヌーズィーハーディー・サブザワーリーモハンマド・レザー・ゴムシェイー、さらにはホメイニーも含めて、みな何らかの意味で彼の影響下にある。地域的には、現在のイランだけではなく、南アジアでも彼の書が多く読まれたことは附記しておくべきだろう。

シーア派イマーム論のなかにイブン・アラビーの完全人間論あるいは聖者の封印(khātam al-awliyā’)という考え方が定着したのはムッラー・サドラーによるところが大きい。哲学的には、師ミール・ダーマードがスフラワルディーに代表される照明学派流の本質重視の態度をとっていたのに対し、ムッラー・サドラーは存在を重視する「存在の根源性」(aṣāla al-wujūd)の立場を採った。この立場はイブン・アラビーの存在一性論と相性が良く、たとえば『存在についての論考』(Risāla al-wujūd)において、存在をたんなる心の構成物とみる神学派やスフラワルディーに代表される照明学派を批判し、存在は外界にあるとするイブン・アラビー学派の主張を擁護している。(仁子 寿晴)


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