Ruh Allah Khomeyni

提供: CDSIA
2010年11月1日 (月) 12:19時点におけるKias0000 (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

[107] Rūḥ Allāh Khomeynī, Moṣṭafā Aḥmad al-Mūsavī (d. 1409/1989)
روح الله مصطفى أحمد الموسوي الخميني‏

ホメイニー Ruh Allah Mostafa Ahmad al-Musavi Khomeyni

1902年、中央イランのホメインで、代々ウラマーを輩出した家系に生まれる。自身もコムで、法学のみならず倫理学や神智学を修め、教鞭を執った。

1944年、『諸神秘の開示』(Kashf al-asrār)を無記名で出版し、パフラヴィー朝下の近代化を批判したあたりから、政治活動に身を乗り出し始める。政治不介入の立場をとったマルジェイェ・タクリードのボルージェルディー(1962没)に敬意を表してその存命中には表立った活動を控えていたが、没後すぐに行動を開始し、1963年には、反イスラーム的近代化を謳ったモハンマド・レザー・シャーの白色革命に激しく異を唱えたことで、コムの学院を軍隊に蹂躙された挙句に逮捕された。翌年釈放されたものの、王政批判の手を緩めなかったことから、同年中に再逮捕され、国外追放となった。

以来、約15年におよぶ亡命生活を送ることになるが、この間も、国外からイランの大衆に向けてパフラヴィー朝の統治を非難するメッセージを送り続け、1970年には、後のイラン・イスラーム共和国の国是となるヴィラーヤテ・ファギーフ(法学者の統治)論を発表し、王制打倒への意欲を失わなかった。

1979年、ついにイラン革命を成功させて、イラン・イスラーム共和国の最高指導者に就任し、約10年の統治期間のほとんどをイラン・イラク戦争に費やしたのち、激動の生涯を閉じた。

驚異の革命人生に眼を奪われて忘れられがちであるが、神智学に造詣が深く、カイサリーの『〈叡智の台座〉注釈序文』(Muqaddima)にたいするゴムシェイーの注釈や、クーナウィーの『玄秘の鍵』(Miftāḥ al-ghayb)にたいするファナーリーの注釈『親愛の灯火』(Miṣbāḥ al-uns)に疏をつけている、歴としたイブン・アラビー学派人士である。(中西 竜也)

※ ファナーリーのMiṣbāḥ al-unsへの疏 → [107-14]


参照:目録ページ
ページ容量が大きくなるため、目録部分を以下のページに分割した。ページ名のクリックで該当ページに移動する。


※ 作品名のクリックで移動
※ 一部の語録はシリーズ名でまとめた。

目録 1 (ا - د)の収録作品

■ → Ruh Allah Khomeyni (cat.1) = 目録 1 (ا - د)ページに移動

目録 2 (ر - ي, a-z)の収録作品

■ → Ruh Allah Khomeyni (cat.2) = 目録 2 (ر - ي, a-z)ページに移動

目録 (研究書)