地域別のイブン・アラビー学派

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東長 靖


イスラーム思想にとって、古くからその担い手となったアラビア語・ペルシア語が、ほぼ独占的に学術語であった時代については、多くの研究者が同一対象を扱えるためもあって、とくに地域別にイブン・アラビー学派を検討するということはなされてこなかった[1]

しかし、後代になり、各地域に(アラビア語やペルシア語に学術語としての優位を与えつつも)それぞれ固有の学術語が育ってくるようになると、それはその地域特有の展開を見せるようになるし、研究者は必ずしも研究対象を共有しなくなってくる。本節では、この目録で着目したいくつかの地域について、イブン・アラビー学派がどのように展開したかを瞥見するとともに、その際に依拠した主要な先行研究について説明する。

ここで取り上げるのは、オスマン朝、南アジア、東南アジア、中国、の4地域である。本来ならば、中央アジアやサハラ以南アフリカが考察の対象に加えられるべきであろうが、これらの地域におけるイブン・アラビー学派の展開については、まだほとんど何も分かっていない状態である。また、近代以降の欧米においてもイブン・アラビーの思想はおおいにもてはやされており、これもきわめて興味深い対象であるが、今回は対象のなかに含めることができなかった。


オスマン朝におけるイブン・アラビー学派

東長 靖


オスマン朝では、その草創期からイブン・アラビーの思想に傾倒する思想家が多く、極端にいえば、オスマン朝期の知識人の大半は、なんらかの意味で彼の思想的影響にあると言っても過言ではない。もちろん、ルーミーやスフラワルディー・マクトゥールらの知的影響も大きく、これら思想家の著述は、別個の系統として学ばれるのではなく、兼学されるものであったと見るべきだろう。

オスマン朝(より広くトルコ世界)におけるイブン・アラビーの思想的影響を最初に述べたのは、ヒルミ・ズィヤ・ユルケン(H. Z. Ülken)であった。第一の概説は、イブン・アラビーの思想的影響について、イスラーム世界全域を視野に入れて論じるなかで、ややくわしくトルコ世界(アナトリア)を取り上げたものである[2]。第二の概説は、さらに進んでオスマン朝期を中心に論じる[3]。これは、クーナウィーカイサリーを取り上げた後、オスマン朝期の代表的思想家を瞥見したものである。クトゥベッディンザーデ・メフメド・ムフイッディン、バーバー・ニーマトゥッラー・マフムード、バーリー・エフェンディ、ヌーレッディンザーデ・ムスリフッディン、イスマーイール・アンカラヴィーアブドゥッラー・ボスネヴィー、アラーウッディン・カラバシュ・ヴェリー、サーリヒー・エフェンディらを列挙したうえで、20世紀においてイブン・アラビーの思想と現代哲学の調和を図ろうとした人々にまで説き及ぶ。たとえば、Chehbenderzadé Aḥmed Ḥilmi (d. 1913), Isma‘il Fennî Ertuğrul (d. 1946), Mehmed Ali Ayni (d. 1945), Ferîd Kam (d. 1944), Ziya Gökalp (d. 1924) らが取り上げられる。いずれも、説明は簡潔に過ぎ、しばしば活躍年代の取り違いがあるなど、瑕疵もあるが、先行する研究のなかった当時に、この思想グループに知的関心を向けさせようとした歴史的功績は大きい。

現在のこの分野の研究の出発点になっているのは、現在もマルマラ大学神学部(イスタンブル)で教鞭をとるムスタファ・タフラルによる紹介である。彼は、トルコ語および英語で、オスマン朝期のイブン・アラビー学派を概観する論文を著しているが、その内容はほとんど同一である[4]。そこでは、30名を超える人物を列挙している。本目録作成にあたっては、彼の研究に大幅に依拠したうえで、Türkiye Diyanet Vakfı İslam Ansiklopedisi の記事などから補い、44名の思想家リストを作成した。本目録に収められているのは、その内著書が刊行されている人々のみであり、写本しか遺していない思想家については言及されていない。具体的に、本目録で取り上げることのできなかった主だった思想家を列挙すると以下のとおりである。

Kutbuddin İzniki (d. 1450)
ファナーリーの弟子。
Akşemseddin (d. 1459)
バイラミー教団に属した。スフラワルディーの子孫で、ハッジ・バイラム・ヴェリーの弟子。メフメト・ファーティフの師。アラビア語でイブン・アラビー擁護の書を著した。
Şeyh Yavsi (d. 1514)
シェイヒュルイスラムのEbüssuudの父。自らの著作のなかで、クーナウィー、ジャンディーカーシャーニーを引用している。
Nuruddinzade (d. 1573 or 1578)
クーナウィーのRisāla al-Nuṣūṣへの注釈を遺した。
Atpazari Osman Fazlı (d. 1691)
ジェルヴェティー教団に属した。クーナウィーのMiftāḥに注釈を遺した。
Haririzade (d. 1881)
イブン・アラビーの著作をトルコ語に訳し、注釈を付した。
Mehmet Nur al Arabi (d. 1887)
イブン・アラビーのNaqsh al-Fuṣūṣなどに注釈を施した。
Salahaddin Yığıtoğul (d. 1937)
叡智の台座』の翻訳・注釈を遺した。


オスマン朝の収録著者

南アジアにおけるイブン・アラビー学派

二宮 文子


南アジアにイブン・アラビーの著作がもたらされたのは遅くとも14世紀半ばであると考えられ、イブン・アラビー学派の思想的影響を受けた著作は、14世紀末から15世紀初頭にかけて見られるようになる。17世紀以降は、関連作品が、韻文・散文ともに数多く著された。イブン・アラビー思想の中でも、存在一性論は、神秘体験論、あるいは存在論の文脈でしばしば言及される。

南アジアのスーフィーの多くは存在一性論支持派であるとされるが、ムハンマド・ギースーディラーズアフマド・スィルヒンディーといった存在一性論批判者も存在している。特に、アフマド・スィルヒンディーの目証一性論(waḥda al-shuhūd)は、存在一性論に対抗する理論として名高く、17世紀以降の南アジアのスーフィーによる著作では、両者はしばしば対比されている。この説がイブン・アラビー批判の議論として広く知られるようになったのは、アフマド・スィルヒンディー没後の弟子たちの活動によるところが大きいようである。

南アジアにおいては、イブン・アラビー学派の存在一性論が汎神論的に解釈され、スーフィズムとヒンドゥイズム、南アジア土着の宗教慣習との宥和・混淆の理論的基礎を提供したとするRizviの見解は、現在の南アジアの学界では定説になっている。ただし、Chittickが指摘しているように、RizviやNizamiらの代表的な研究は、文献に現れた汎神論的傾向を、存在一性論やイブン・アラビー思想とほぼ無批判に結びつける傾向がある。イブン・アラビーの著作やその注釈の内容と、南アジアで書かれた諸作品の内容を対照し、用語体系や理論面での具体的な思想的影響について検討した研究は未だ数少なく、今後の重要な課題であると考えられる。

南アジアのイブン・アラビー学派に関するもっとも網羅的な研究はChittickの“Notes on Ibn al-‘Arabi’s Influence”であり、本目録の人物選定は同論考に基づく。その他、南アジアのスーフィズム史研究の基本書であるRizviのA History of Sufism in Indiaも適宜参照した[5]


南アジアの収録著者

東南アジアにおけるイブン・アラビー学派

東長 靖


管見の限り、このテーマに特化した研究は、いまだに未開拓であると思われる。しかしながら、イブン・アラビー学派およびそれに対する批判については多くの概説書で扱われてきている。そこに常に登場するのは、ファンスーリースマトラーニーラーニーリースィンキリー(アブドゥッラウーフ)である。ほかにも、本目録で取り上げたアブドゥッサマド・パリンバーニーや、Muhammad Arshad al-Banjari, Abdul Qadir al-Fataniなどの名を挙げることができる。

必ずしもイブン・アラビー学派に特化したものではないが、マレー世界のスーフィズムを概観するには、

  • S. N. al-Attas, Some Aspects of Ṣūfism as Understood and Practised among the Malays, Singapore, 1963;
  • Osman Bin Bakar, “Sufism in the Malay-Indonesian World,” in S. H. Nasr (ed.), Islamic Spirituality: Manifestations, New York, 1991, pp. 259–289;
  • A. H. Johns, “Sufism in Southeast Asia: Reflections and Reconsiderations,” Journal of Southeast Asian Studies, 26/1, 1995, pp.169–183;
  • M. van. Bruinessen, “L’asie du Sud-Est,” in A. Popovic & G. Veinstein (eds.), Les voies d'Allah: Les ordres mystiques dans l’islam des origines à aujourd’hui, Paris, 1996, pp. 274–284;
  • do., “Studies of Sufism and the Sufi Orders in Indonesia,” Die Welt des Islams, 38/2, 1998, pp.192–219;
  • Peter Riddell, Islam and the Malay-Indonesian World: Transmission and Responses, Singapore, 2001.

などが参考になる。イブン・アラビー学派そのものを取り上げたものには、私が主催したイブン・アラビー学派の地域的展開に関する国際会議 “Ibn ‘Arabi and the Islamic World: Spread and Assimilation”(2001年1月19日、22–23日、於京都市国際交流会館、芝蘭会館)において発表されたBaharudin Ahmad, “Ibn ʻArabi and his Influence in Southeast Asia during the Ottoman Period,” pp. 1–18があるが、残念ながら公刊されていない。


東南アジアの収録著者

中国におけるイブン・アラビー学派

中西 竜也


中国においてイブン・アラビー学派の影響を受けた著作が出現しはじめるのは、中国ムスリム(漢語を日常語とするムスリム)がイスラーム思想に関する漢文書籍の著述を開始するようになった時期と、ほぼ重なる。たとえば、現存最古の漢文イスラーム文献『正教眞詮』(崇禎15年(1642)初刊)の著者である王岱輿のいまひとつの著作、『清眞大學』(成書年代不明)には、イブン・アラビー学派思想の影響がはっきりと看取される。また、王岱輿とほぼ同じ時期に活躍した張中の『歸眞總義』(順治18年(1661)初刊)にも、イブン・アラビー学派の影響の痕跡を見出すことが可能である。これらが、中国におけるイブン・アラビー学派思想の発露の、現在確認しうるかぎり最も早い事例である。つまり、遅くとも17世紀半ばごろにはすでに、中国ムスリムのあいだでイブン・アラビー学派思想が受容されていたのである。以来、中国ムスリムの思想界では、イブン・アラビー学派思想が一定の影響力を保持し続けることになる。

ただし、イブン・アラビー学派思想の受容といっても、イブン・アラビーの著作そのものが中国ムスリムのあいだで読まれるようになるのは、かなり遅いようである。現在分かるかぎりで言えば、馬德新(1794–1874)がイブン・アラビーの著作に言及している以前に、中国ムスリムがイブン・アラビーの著作を読んでいた形跡はない。それ以前の中国ムスリムは、アブドゥッラフマーン・ジャーミーの『光芒』(Lawā’iḥ)や『閃光の照射』(Ashi‘‘a al-lama‘āt)、アズィーズ・ナサフィーの『至遠の目的地』(Maqṣad-i aqṣā)などを通じて、イブン・アラビー学派に触れていたのである。また、比較的新しい時代になると、アフマド・スィルヒンディーの『書簡集』(Maktūbāt)や、イスマーイール・ハック・ブルセヴィーの『明証の霊魂』(Rūḥ al-bayān)なども、よく読まれるようになった。

ちなみに、現在の中国ムスリムのあいだでも、イブン・アラビーの名はよく知られており、とくに『マッカ啓示』(al-Futūḥāt al-Makkīya)がよく読まれている。が、その一方で、イブン・アラビーのいまひとつの主著である『叡智の台座』(Fuṣūṣ al-ḥikam)は、管見のかぎり、あまり流布していないようである。

本目録における中国のイブン・アラビー学派人士の選定は、松本「馬聯元著『天方性理阿文注解』の研究」「イスラーム存在一性論の構造と知的生命力」「馬徳新とイスラーム思想の儒教的展開」や濱田「『帰真総義』初探」、Murata, Chinese Gleamsなどの研究によった。ただし、中国ムスリムのイスラーム思想に関する本格的研究は近年ようやく始められたばかりであるため、中国におけるイブン・アラビー学派の影響の広がりと深度については、まだまだ未知の部分が多い、というのが現状である[6]。従って、イブン・アラビー学派の影響を受けていた可能性は十分にあるものの、現段階ではイブン・アラビー学派人士と断定しえず、本目録にエントリーしなかった人物も多くいる。たとえば、本目録にエントリーされている王岱輿、劉智、馬德新とともに中国四大ウラマーの一角をなすと見なされる馬注や、王靜齋、哈德成といった近代の中国ムスリム学者たちなどが、それである。彼らのイブン・アラビー学派との関係については、今後の研究が俟たれる。

なお、中国ムスリムの著作刊本の書誌は、NACSIS WebCatに加え、以下の研究書や目録、web上のデータベースのデータに基づいて整理した。


中国の収録著者

脚注

  1. そのため、イブン・アラビー学派研究者の多くが通じ、「序」で掲げた参考文献などからも情報が得られるアラブ、イランについては、ここでは論じなかった。
  2. Ülken, La Pensee de l’Islam, pp. 97-103.
  3. H. Ülken, “L’école wudjudite et son influence dans la pensee turque,” Wiener Zeitschrift fur die kunde des morgenlandes, 62 band, 1969, pp.193–208.
  4. 以下を参照。
    • M. Tahralı, “Muhyiddin İbn Arabi ve Türkiye'ye Te'sirleri,” Kubbealtı Akademi Mecmuası, Yıl:23, Sayı 1, ocak 1994, ss. 26–35;
    • do. “A General Outline of the Influence of Ibn ‘Arabī on the Ottoman Era,” Journal of the Muhyiddin Ibn ‘Arabi Society, vol. 26, 1999, pp. 43–54.
  5. 南アジアのイブン・アラビー学派については、以下の研究を参照のこと。
    • W. C. Chittick, “Notes on Ibn al-‘Arabī’s Influence in the Subcontinent,” The Muslim World, vol. 82/3-4, 1992, pp. 218–241;
    • B. B. Lawrence, An Overview of Sufi Literature in the Sultanate Period, Patna: Khuda Bakhsh Oriental Public Library, 1979;
    • K. A. Niẓāmī, Tārīkhī Maqālāt, Dihlī : Nadwat al-Muṣannifīn-i Urdū, 1966;
    • S. A. A. Rizvi, A History of Sufism in India, 2 vols, New Delhi: Munshiram Manoharlal, 1983;
    • I. Sabir, “Impact of Ibn Arabi’s Mystical Thought on the Sufis of India during the Sixteenth Century,” in Neeru Misra (ed), Sufis and Sufism: Some Reflections. New Delhi: Mahohar, 2004, pp. 129–142;
    • A. Schimmel, Islam in the Indian Subcontinent, Leiden: E. J. Brill, 1980;
    • Q. Shahzad, “Ibn ‘Arabî Studies in Urdu,” Muhyiddin Ibn ‘Arabi Society Newsletter, 22, 2006 Summer, p. 2;
    • G. Stavig, “Ibn ‘Arabi’s Influence in Muslim India,” Journal of Ibn ‘Arabi Society, vol. 45, 2009, pp. 121–132.
  6. 中国のイブン・アラビー学派については、以下の研究を参照のこと。
    • 松本耿郎「馬聯元著『天方性理阿文注解』の研究」『東洋史研究』58-1, 1999年, pp. 1–176;
    • 濱田正美「『帰真総義』初探」『五十周年記念論集』神戸大学文学部, 2000年, pp. 175–196;
    • Sachiko Murata, Chinese Gleams of Sufi Light:Wang Tai-yu’s Great Learning of the Pure and Real and Liu Chih’s Displaying the Concealment of the Real Realm (with a New Translation of Jami’s Lawa’ih from the Persian by William C. Chittick), Albany: State University of New York Press, 2000;
    • 松本耿郎「イスラーム存在一性論の構造と知的生命力」『宗教研究』78-2, 2004年, pp. 131–155;
    • 松本耿郎「馬徳新とイスラーム思想の儒教的展開――非暴力・平和の思想」『サピエンチア』40, 2006年, pp. 141–160.