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[39] ʻAbd al-Raḥmān Jāmī, Nūr al-Dīn (d. 898/1492)
نور الدين عبد الرحمن بن أحمد الجامي‏

アブドゥッラフマーン・ジャーミー Nur al-Din Abd al-Rahman al-Jami

ホラーサーンのジャーム出身。主にヘラートで活躍した。優れた詩人として有名であるのみならず、ナクシュバンディー教団の卓越したシャイフとしても知られる。直接の師は、バハーウッディーン・ナクシュバンドの孫弟子のサアドゥッディーン・カーシュガリー(860/1456没)であったが、その没後は、ホージャ・ウバイドゥッラー・アフラール(895/1490没)を精神的助言者として仰いだ。ティムール朝サマルカンド政権におけるホージャ・アフラールの如く、ジャーミーもまた、ティムール朝ヘラート政権の君主スルターン・フサイン・バイカラ(在位1469–1506)や、その寵臣で宰相のアリー・シール・ナヴァーイー(1501没)の知遇を得て、ヘラート宮廷に一定の影響力を行使した。

ジャーミーはまた、イブン・アラビーの『叡智の台座』(Fuṣūṣ al-ḥikam)や、イブン・アラビー自身による『叡智の台座』の要約にたいする注釈をはじめ、イブン・アラビー学派思想に関する多くの作品を著し、イブン・アラビー学派の権威としても名高い。その名声は存命中から天下に轟き、遠くはデカンよりイブン・アラビー学派思想に関する照会があったという。

  • 『叡智の台座』(Fuṣūṣ al-ḥikam)にたいする注釈 → [39-21]
  • 『叡智の台座』の要約にたいする注釈 → [39-33]

イブン・アラビー学派関係以外の主な著書に、韻文作品集『七つの玉座』(Haft Awrang)や、スーフィー聖者列伝『親愛の息吹』(Nafaḥāt al-uns)などがある。(中西 竜也)


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