科研基盤A「非アラブにおける穏健イスラームの研究-インドネシア・パキスタン・トルコの事例から」と平和中島財団アジア地域重点学術研究助成「イスラーム主義に対抗する穏健イスラームの試み――インドネシアの「宗教的穏健化」政策を中心に」の第4回ジョイント研究会(「穏健イスラーム」研究会)
日時:2月15日(水)16~18時
場所:上智大学2号館6階(2-615a教室)[ ハイブリッド実施 ]
【報告1】井上あえか「マイノリティとしての指導者ジンナー」
ムハンマド・アリー・ジンナーはパキスタン建国の父と言われるが、さまざまな点で、インドにおけるマイノリティであった。例えば、ムスリムであったこと、シーア派であったこと(ホージャー派から12イマーム派へ改宗)、パールシーと結婚したこと、イスラームに関心が薄かったこと、ムスリム多数派州で支持されていなかったこと、当時のカリスマ的指導者ガーンディーと対立したことなどである。彼はムスリムが少数派とならず、安心して生きられる社会を求め、いわば非宗教的(政教分離的)な政治家として、ムスリムの利益を代表した。とくに、シーア派というムスリムの中のマイノリティであったことが問題にされず、建国の父となったことは、インド・ムスリムの多様性と、穏健なイスラームの伝統を示唆する可能性があるのではないか。
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【報告2】山根聡「19世紀後半のウルドゥー語資料に見る文学空間と宗教-牝牛保護運動のマスナヴィー」
本報告では、南アジア、特に北インドで19世紀後半になって顕在化したヒンドゥーとムスリムの対立に関し、1880年代初めに刊行されたウルドゥー語の冊子『牝牛の嘆き』を取り上げて、先行研究で言及されてきた宗教間対立の動きに対し、対立の回避を企図する動きがあったことを報告した。
この雑誌はヒンドゥー教の改革団体「アーリヤ・サマージ」系のものでラーホールから刊行されたものである。ウルドゥー語で書かれており、ムスリムが必要以上に牝牛を屠殺する事を止めるように求める内容の記事や詩が収載されている。ヒンドゥー側がムスリムに呼びかけるような調子の記述が多く、中にはムスリムも登場してきてヒンドゥーに同調するような発言をしている。
従来の研究では、19世紀末の牝牛保護運動によってヒンドゥーとムスリムの断絶が深刻化したと語られてきたが、このように平和理に対立を避けようとした動きがあったことは、当時の資料の発掘と、再検討を要することを指摘した。