当センター長・東長靖と研究員・鈴木麻菜美がスーフィズムについて講演を行いました。

当センター長・東長靖と鈴木麻菜美研究員が上智大学イスラーム地域研究所・京都大学イスラーム地域研究センター主催オンライン・シンポジウム「スーフィズムに見る:音と身体の技法」(Sophia Open Research Weeks 2022企画)にて講演を行いました。

【日時】2022年11月12日(土)14時~17時30分

【タイトル】
東長靖「愛の言葉、愛の音、愛の踊り」
鈴木麻菜美「トルコのアレヴィー儀礼:人びとに寄り添う歌と踊り」

【主催】
上智大学イスラーム研究センター(SIAS)
京都大学イスラーム地域研究センター(KIAS)

【共催】
科学研究費助成事業(基盤研究(A))「イスラームおよびキリスト教の聖者・聖遺物崇敬の人類学的研究」[JSPS科研費 JP19H00564]、
科学研究費助成事業(国際共同研究強化(B))「スーフィズムの総合的研究:思想・文学・音楽・儀礼を通して」[JP21KK0001]
日本私立学校振興・共済事業団学術研究振興資金「現代イスラームにおける公共性再構築をめぐる動態の研究」



 

 

 

2022年11月6日 第3回「穏健イスラーム」研究会を実施しました

科研基盤A「非アラブにおける穏健イスラームの研究-インドネシア・パキスタン・トルコの事例から」と平和中島財団アジア地域重点学術研究助成「イスラーム主義に対抗する穏健イスラームの試み――インドネシアの「宗教的穏健化」政策を中心に」の第3回ジョイント研究会(「穏健イスラーム」研究会)を対面とZoomのハイブリッド形式で実施しました。

日時:11月6日(日)14~18時
場所:上智大学(2-615a教室)【ハイブリッド実施】                           プログラム:
高尾 賢一郎「アラブ圏における「穏健イスラーム」をめぐる言説と取り組み」     
池端 蕗子「現代ヨルダンの公的な「穏健イスラーム」発信と政治的正統性」

 

 

ジョイント研究会「インドネシアの穏健イスラーム」報告

ジョイント研究会「インドネシアの穏健イスラーム」
(基盤A(JSPS22H00034) 、平和中島財団アジア地域重点学術研究助成)
【日時】2022年6月18日(土曜日)16:00~18:00
【場所】京都大学研究第2号館4階AA447(会議室)(Zoomハイブリッド)

【報告1】

モデラシ・ブルアーガマ―何? なぜ? どうやって?
オマン・ファトフラフマン

 Moderasi Beragama、あるいは宗教的穏健化とは、宗教と国家の関係に関する現在のインドネシア政府の政策の一つである。多文化であるインドネシアの人々の間で、調和と平和、そして寛容な宗教生活を築くための取り組みを検討するものである。この考えは宗教大臣ルクマン・ハキム・サイフディン(在職2014-2019年)によって推進・概念化され、ジョコウィの「国家中期開発計画(Rencana Pembangunan Jangka Menengah/RPJMN) 2020-2024 」の一部として採用されている。
 モデラシ・ブルアーガマは「国民的合意としての公正、均衡および憲法の遵守の原則に基づき、人間性を保護し、公共の利益を構築するという宗教の教えの本質を適用することを強調した、社会生活における宗教的視点、態度および実践」と公式に説明されている。
 モデラシ・ブルアーガマをよりよく理解するためには、インドネシアが多文化・多宗教の人々の国であることを知っておくべきである。インドネシアは非神政国家であるにもかわらず、インドネシアにおけるすべての事柄は宗教から切り離すことはできない。インドネシアにおける宗教と国家の関係は、相互主義の共生関係である。国家と宗教はお互いを必要としている。国家は、宗教的価値観を基礎に国家を運営するために、宗教を必要としている。一方宗教もまた、宗教的価値観の適用には国家からの保護と促進が不可欠であるがゆえに、国家を必要としている。
 インドネシアにおける宗教的自由はまた憲法/法律によって保護されている。それぞれの国民の力が最もよく試されるのは、信心深くいることの一方でナショナリストでいること、双方の権利の間でどのようにバランスを保つかということである。
 現在モデラシ・ブルアーガマは、インドネシアの人々の宗教的献身と国家的献身の間のバランスをとるための解決策と見なされている。モデラシ・ブルアーガマの視点において、宗教を実践することはよき市民になることを意味し、ナショナリストであることは信心深くいることを意味する。このことは、パンチャシラが宗教的教えに反していたという理解を何者かが明示的に誘発することは許されないということを示している。
 悲しいことに、国旗である紅白旗(メラ・プティフ)に敬意を払うことは多神教(シルク)であり、国歌であるインドネシア・ラヤを歌うことは禁じられている(ハラームである)と挑発する特定の限られたグループが存在する。このような理解や他の様々な類似のイデオロギーは、明らかに国家の柱に反しており、インドネシアの基本的な土台を損なっている。このような過剰で極端な宗教的思考や態度は、インドネシアにおける国民性と宗教性を同期する上で深刻な課題となっている。
 モデラシ・ブルアーガマの使命についていくつかの誤解がある。一部の人々は、モデラシ・ブルアーガマが、宗教信奉者、特にムスリムを混乱させ、誤解させ、さらには宗教の支持者を改宗させるための思想の侵略(ghazw al-fikr)の一環であると誤って考えている。また、モデラシ・ブルアーガマを、人々を彼らの宗教との関係から離れさせ、人々を宗教から排除し、イスラムの兄弟愛を断ち切り、あるいは過激派とだけ戦うための政府のプログラムだと誤解している人もいる。
 したがって、モデラシ・ブルアーガマは特定の宗教だけを扱うものではないと強調しておくことは重要である。なぜなら、過激主義はどのような宗教的伝統の中にも見出しうるからである。また、モデラシ・ブルアーガマは異なる宗教の教えを統合するものではなく、むしろ宗教的多様性を理解し、異なる宗教的解釈を尊重するためのものである。宗教そのものに穏健化は必要ない。なぜなら、穏健化されるべきなのは、人々を過激主義から守るために、彼らの宗教実践の仕方だからである。最後になるが重要なものとして強調したいのは、モデラシ・ブルアーガマは改革主義の反意語ではない、ということである。すなわち、「穏健」の反意語は「改革」ではなく、「過激」(tatharruf)なのである。つまり、モデラシ・ブルアーガマの主な考え方は、「極左」(超リベラル)であれ「極右」(超保守)であれ、どんな側面や形態の過激主義であれ、宗教的過激主義に対抗することなのである。

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【報告2】

“Islam Nusantara: To Be Political or to Be Critical? ”
岡本正明

本発表では、インドネシアの二大イスラーム社会組織、ナフダトゥール・ウラマー(NU)とムハマディアが2010年代なかばに提唱し始めたヌサンタラ・イスラーム(Islam Nusantara)と進歩的なイスラーム(Islam Berkemajuan)というタームに着目した。こうしたタームが生まれてきた背景とそれぞれの定義を示した後、それぞれのタームを含むツイートがどのぐらいあるのかを時系列的に明らかにした。ヌサンタラ・イスラームについては、ツイートの地理的ちらばりも明らかにした。
また、NUが設立した大学におけるヌサンタラ・イスラーム関連の大学院プログラムの修士論文の要旨分析から、そのプログラムが生み出す論文の特徴を明らかにした。 
こうした分析から明らかになったのは、ヌサンタラ・イスラームという単語を含むツイートが進歩的なイスラームという単語を含むツイートよりも圧倒的に多いこと、それでも、2015年に比べれば減少傾向が顕著なことである。また、ヌサンタラ・イスラーム大学院プログラムからは、現地文化と調和的に浸透するイスラームという視点が強調されすぎて、イスラームと現地文化のアクター間の対立や妥協といったプロセスが不可視化されていること、政府が推奨するヌサンタラ・イスラーム関連プロジェクトなどに批判的な観点が欠如していることが明らかになった。

鹿島学術振興財団「イスラームの宗教施設と都市空間との融合:モスクに集うムスリムたちの日本社会との共生」第1回研究会報告

2022年度に採択された標記研究会が、本センターと連携して実施された。
日時:8月2日(火)午後4~6時半
場所:京都大学総合研究2号館4階会議室(AA447)およびZoomのハイフレックス

参加者各自の自己紹介の後、各自の発表が行われた。今回は第1回なので、3名がそれぞれの問題意識に基づいてどのようなことを問題にしうるのか、具体的には何を調べるとよいと考えるのか、といったことを中心に発表を行った。

第一話題提供者の東長は、「現地社会と融合するイスラーム-日本型イスラームもあるのか?」と題して発表した。本共同研究の趣旨を説明した後、東長が近年携わっている共同研究をA. 多文化共生、B. 穏健イスラーム、C. スーフィズム理解の3つのトピックに分けて紹介し、これらとの関連で本研究に取り組みたいと述べた。そのうえで、「正しいイスラーム」≒「アラブ的イスラーム」対「堕落したイスラーム」≒「現地化した周縁イスラーム」といった従来の見方に対して、インドネシア・パキスタン・トルコなどでは、各国の文化伝統に基づいた穏健イスラームの主張が見られ、その多くはイスラーム法と同時に、スーフィズムや聖者信仰と結びついていることを述べた。ここでは、「現地化」は「堕落」ではなく、むしろプラスの価値を帯びている。そのうえで、インドネシア型イスラームがあるなら「日本型イスラーム」もありうるのかという問題を提起し、過去に実際にあった有賀文八郎の「日本イスラム教」や、安部治夫の「大乗イスラム」について簡単に紹介した。これらは、戒律(イスラーム法)に縛られないイスラームを主張していた。しかし現在においては、このような主張はほぼ見られず、またスーフィズムに基づくイスラーム理解も見当たらないことを指摘した。

次の話題提供者の岡井宏文は、「日本のマスジドの機能とデザイン:デザインを巡る言説から『宗教組織内・外〈多文化共生〉』を考える」と題した報告を行った。個々人が考える日本のモスクの「望ましいデザイン」を巡る言説を取り上げ、モスクのデザインを巡って何が観察可能かを検討した。日本における「イスラームの宗教施設と都市空間の融合」に関して、一意の日本らしいあり方を措定せず、地域のムスリムの実践から多様な「望ましさ」とその関連要因を拾い上げるアプローチの可能性を探ることを目指した。まず、移民社会のモスクの機能について参照し、機能の一部が周辺社会との関係性の中で生起していること、デザインも機能の一部と捉えられる可能性を示した。その上で、分析枠組みとして、「宗教組織内〈多文化共生〉」「宗教組織外〈多文化共生〉」(高橋典史2015)を援用しつつ、マスジドのデザイン決定プロセス、および次世代ムスリムのモスク観について行った予備調査について簡単な分析を行った。
その結果、外国文化の強調や礼拝に訪れる人々のルーツの文化の取り入れ、日本の風土や文化との融合といった多様な「望ましいデザイン」が存在することが明らかとなった。モスクのデザイン決定や、個々人の「望ましいデザイン」を巡っては、個々人の属性(例:一世、次世代、男性/女性、ルーツ、組織内のマジョリティ/マイノリティなど)、人生経路などが深く関わっていることが示唆された。こうした要素は、当事者間の交渉・緊張・排除・合意等を生み出してもいた。また語りからは、モスクのデザイン決定や、個々人の考える「望ましいデザイン」は、モスクを地域社会の中でどのような存在として位置づけるのかや、モスクに対して周辺社会がもつイメージ、周辺社会がモスクのデザインに関して求める事柄など、外部との関係のなかで生起する要素にも影響をうけていることが示唆された。以上をうけて、個々人/集団が考える望ましいモスクのデザインを巡る議論を通じて、日本や地域におけるイスラームの定着過程の一端を捉えられるのではないかという点を指摘した。

最後に総合討論が行われ、思想レベルと実態レベルのいずれにより重点を置いて研究を進めるか、イスラームの地域性を普遍性との対比でどのように考えるべきか、「日本的」という概念が何を指すか、などが議論された。

参考文献
高橋典史,2015,「現代日本の「多文化共生」と宗教―今後に向けた研究動向の検討―」『東洋大学社会学部紀要』,52(2): 73-85.