2024年度第2回「穏健イスラーム」研究会 報告

科研基盤A「非アラブにおける穏健イスラームの研究-インドネシア・パキスタン・トルコの事例から」                                       2024年度第2回研究会(「穏健イスラーム」研究会)
【日時】2024年 8月8日(木曜日)13:00~17:00京大
【場所】京都大学吉田キャンパス本部構内 総合研究2号館4階 AA447(会議室)

【報告1】鎌田繁「クルアーンと穏健の思索」
イスラームにおける思想や実践はその根拠を神の言葉、クルアーンに置くことをねらう。穏健なものであれ、過激なものであれ、イスラーム的正当性を獲得するためにはクルアーンの探求は不可欠である。テクストの文字通りの意味だけでなく、場合によってはそのテクストを無効にするような解釈技法を通してクルアーンからメッセージを引き出そうとする。現在の「穏健な」イスラームと(それと対比される「過激な」イスラーム)はムスリムが現在置かれた社会的、政治的、文化的状況のなかで生まれているものであり、近年のクルアーン注釈(タフシール)には註釈者の立場とともにそのような背景が看取されるのではないかと思う。古典的な註釈と近年の註釈を対比することによって現代のさまざまな思索のあり方が見えてくると考えられる。

【報告2】黒田彩加「現代アラブにおける宗教復興と「中道的イスラーム(ワサティーヤ)」のポリティクス」                                                    本報告では、現代イスラーム思想で用いられる語である「中道的イスラーム(ワサティーヤ; al-wasaṭiyya)という用語の起源や使用法に関する考察を行った。現代アラブ・イスラーム思想においては、イスラームにおける「穏健」の文脈で「中道的イスラーム(ワサティーヤ)」というスローガンが頻繁に用いられるようになっており、ここから着想を得て、中道派という分析概念が日本でも用いられてきた。
先行研究によれば、アラビア語のワサティーヤは、20世期半ばにアズハルのウラマーが用い始めた語とされるが、その意味するところについては、時代とともに変化が見られる。1970年代以降の宗教復興期においては、ムスリム同胞団との関わりも深かったウラマーのユースフ・カラダーウィーがこの語を用いて、中道的イスラーム(ワサティーヤ)という語がひろく知られるようになった。さらにエジプトでは、イスラームと近代性の両立を目指す在野の知識人たちが、必ずしも中道的イスラームという語を著作の中で用いてはこなかったものの、穏健・改革志向の言論活動を重ねてきた。エジプトやアラブにおいて、2010年代半ば以降、中道的イスラームを提唱するアクターの関係性に変化が生じていることも、本発表で部分的に論じた。
発表後の質疑応答では、各国で「中道派」とされる知識人たちのバックグラウンドの相違、アズハルとモダニストの知識人たちの緊張関係、アラブと非アラブの中道派の論点の相違などに関する議論が行われた。

2024年8月31日 パキスタン・パンジャーブ大学でのセミナーの様子がパキスタンの新聞に掲載されました

当センター長・東長靖、山根聡先生(大阪大学)、井上あえか先生(岡山就実大学)が発表を行ったセミナーの様子がパキスタンの日刊紙Nawa-i Waqt(時の声)に掲載されました。本セミナーは、科研基盤A「非アラブにおける穏健イスラームの研究-インドネシア・パキスタン・トルコの事例から」(22H00034)の一環として開催したものです。

記事翻訳
「パンジャーブ大学、日本の3大学合同による国際会議」
「会議の締めくくりにムハンマド・カームラーン博士:ウルドゥー文学の観点から議題に関する言及」

(本文)
「ラーホール(特派員) パンジャーブ大学のウルドゥー言語・文学研究所と日本の3大学、京都大学、大阪大学、岡山就実大学の合同による国際会議「社会と中道派:21世紀において」が過日開催された。会議の主賓はサリーム・マズハル国立国語普及研究所長で、海外からは大阪大学の山根聡博士とマルグーブ・フサイン・ターヒル博士、京都大学から東長靖博士、岡山就実大学の井上あえか教授が参加した。会議の席ではジャミール・ジャーリビー記念研究所長のズィヤーウル・ハサンが会議に対する謝辞を述べ、会議の終わりには、オリエンタル・カレッジの校長ムハンマド・カームラーンがウルドゥー文学の見地から議論に関する談話を行った。日本の教授には記念の楯と伝統的なショールが送られた。

2024年度第1回スーフィズム・聖者信仰研究会 報告

2024年度第1回スーフィズム・聖者信仰研究会
【日時】6月9日(日)午後1~5時
【場所】上智大学6号館2-615a(対面およびZoomによるハイフレックス実施)
【報告1】本間流星(京都大学)「南アジア型イブン・アラビー学派の構築:アシュラフ・アリー・ターナヴィーの存在一性論を中心に」
本発表は、英領インド期の著名な学者であり、イブン・アラビー学派に連なるスーフィーでもあるアシュラフ・アリー・ターナヴィー(Ashraf ‘Alī Thānavī, d. 1943)の思想を読み解くことで、ターナヴィーがイブン・アラビー学派の地域的・時代的特徴をどのように体現し、同学派の知的伝統に如何なる貢献を果たしたのかを論じるものである。ターナヴィーは、南アジアの存在一性論を伝統的に特徴付けてきた「一切は彼なり(hama ūst)」の立場を継承することで、遍在的な神観念を軸とする存在一性論の理解を示したのみならず、その思想をハディースの注釈を通じて表現することで、存在一性論とイスラームの規範的伝統の調和をも図った。また、近代南アジアではウルドゥー語がムスリムの象徴的言語として普及し、当時の宗派間論争や改革主義運動の文脈で頻繁に使用されていた。ターナヴィーもウルドゥー語による著述を重視したが、彼はそれを存在一性論のような形而上学的なコンテクストにおいても用いた先駆者であり、まさにウルドゥー語で存在一性論を論じるという新たな知的潮流を南アジアにおいて生み出したとも言える。以上のことから、ターナヴィーは南アジアにおける存在一性論の伝統を単に継承するのみならず、そこにシャリーアとの調和的要素を見出し、さらにはイブン・アラビー学派の知的伝統とウルドゥー語を結び付けるという仕方で、「近代南アジア」という時代的・地域的特性を反映させた新たな学派のあり方を創出したと結論付けることができる。

【報告2】小倉智史さん(東京外国語大学AA研)「アクバル版『ラグ・ヨーガヴァーシシュタ』ペルシア語訳の校訂中間報告」
『ラグ・ヨーガヴァーシシュタ』とは、中世後期に大きな影響力をもったヒンドゥー教の哲学文献である。『ラーマーヤナ』の主人公であるコーサラ国の王子ラーマと、賢人ヴァシシュタとの対話の中で数々の物語や寓話が紹介され、人が生前解脱を達成するための手段が考察される。この文献の内容はムガル皇族の関心を引き、サリーム皇子(後の第4代皇帝ジャハーンギール)、第3代皇帝アクバル、第5代皇帝シャー・ジャハーン(一説には第6代)の長男であるダーラー・シュコー皇子がそれぞれ『ラグ・ヨーガヴァーシシュタ』のペルシア語訳を編纂させた。これまでにサリーム版とダーラー・シュコー版のペルシア語訳の校訂本が出版されている。報告者は未校訂のアクバル版の校訂作業をトロント大学のPegah Shahbaz氏と進めており、本発表はその中間報告である。
アクバル版のペルシア語訳は1602年頃に編纂された。サリーム版が1597–98年に編纂されたことから、二つのペルシア語訳は数年の間に相次いで編纂されたことが明らかになる。折しもこの時期はアクバルとサリームの対立が顕在化しており、本発表では、報告者はラーマが最終的に生前解脱を果たすという『ラグ・ヨーガヴァーシシュタ』の内容が、ムガル皇帝の神性王権の主張に都合の良いものだったのではないかという推測をした。サリーム版とアクバル版はともに存在一性論に基づいて、サンスクリット原典のヴェーダーンタ思想を解釈している。しかし、ヴェーダーンタ思想の根本原理である梵を、存在一性論における何に対応させるかという点で、両者の解釈は異なっている。サリーム版は、自己顕現が始まる以前の絶対非限定存在と梵を対応させている。これに対して、アクバル版は第一の自己顕現を経た後の統合的一者に梵を位置付けている。このような原典の思想の解釈の違いが、それぞれの翻訳がなされた環境に由来するものなのではないかと、報告者は見解を述べた。

2024年度第1回「穏健イスラーム」研究会 報告

科研基盤A「非アラブにおける穏健イスラームの研究-インドネシア・パキスタン・トルコの事例から」                                       2024年度第1回研究会(「穏健イスラーム」研究会)
【日時】2024年5月25日(日曜日)13:00~17:00
【場所】京都大学吉田キャンパス本部構内 総合研究2号館4階 AA415(第1講義室)
【報告】内山智絵                                「サラフィーとスーフィーの二分法に基づかないセネガルの「イスラームの領域」を再構築する:イスラーム教育の事例から」
本報告は、穏健なスーフィー教団の影響が強いセネガルのイスラームにサラフィー思想の影響が及んでいるという言説を、イスラーム教育の事例を通じて検証するという問題意識に基づくものである。セネガル政府が策定した学校教科書はスーフィー教団の存在と矛盾しない寛容なイスラームを推進し、サラフィー的な志向のムスリムにも受け入れられる内容であるのに対し、報告者が調査したサラフィー団体の系列学校では一部ではアフリカ的なスーフィズムの慣習を否定する教育を行っている、しかし、後者においても生徒の中には教団に所属する者も少なくなく、インタビュー調査からはさほど矛盾なく共存している様子がうかがえる。また、サラフィーまたはスーフィーと位置付けられるムスリムのインフォーマントの語りは、教団に属するムスリムと属さないムスリムの境界は実際には絶対的なものではなく、その区別は必ずしも重要視されていないことを示唆している。セネガルのイスラームは従来多数派のスーフィーと穏健派のサラフィーという二分法的にとらえられてきたが、「穏健で寛容なセネガルのイスラーム」という意識はサラフィーも含め多くのムスリムにとって受け入れられるものであると推測され、こうした前提からセネガルのイスラーム像を再構築することは有用であると考えられる。

2024年3月22-23日 スーフィズム・聖者信仰研究会合宿を実施しました

2023年度スーフィズム聖者信仰研究会合宿を以下の通り実施しました。

【日時】3月22日(金)-23日 (土)

【場所】東洋大学 熱海研修センター

【プログラム】

【3月22日: 13:00–19:00】
(13:00–13:30) 挨拶・自己紹介

(13:30–15:20) 棚橋由香里(京都大学)
「15–16 世紀モロッコのスーフィーによる社会改革:タリーカ・ジャズーリーヤを中心に」

(15:40–17:00) 森口遥平(京都大学)
「イラーハーバーディー『賦与と受容の間の等価』の存在一性論的分析に基づく考察」

(17:00–19:00) リファーイー教団研究関連文献読書会
① 赤堀雅幸(上智大学)
Morgan Clarke, “Cough Sweets and Angels: The Ordinary Ethics of the Extraordinary in Sufi Practice in Lebanon.” The Journal of the Royal Anthropological Institute, vol. 20 no. 3, pp. 407–425
② 東長靖(京都大学)
Alexandre Popovic, «La Rifâ’iyya.» dans: Alexandre Popovic et Gilles Veinstein (dir), Les voies d’Allah: les ordres mystiques dans l’islam des origines à aujourd’hui. Paris: Fayard, 1996, pp. 492–496.

【3月23日: 08:30–12:00】

(08:30–10:20) 阿毛香絵(京都大学)
「セネガルのイスラーム教団における身体性とポリティック―ムリッド教団・ティジャーニア教団における信者たちの宗教的経験から」(仮題)

(10:30–11:30) 鈴木麻菜美(京都大学)
「タリーカの社会活動における音楽の役割とその構造:ベクタシー教団(アルバニア)・ハルベティ教団(コソボ)・リファーイー教団(トルコ)の比較分析から」(トルコおよびバルカン調査報告)

(11:30–12:00) 今後の研究打ち合わせ

運営:赤堀雅幸(上智大学)、東長靖(京都大学)、三沢伸生(東洋大学) 、近藤文哉(上智大学)、鈴木麻菜美(京都大学)、高橋圭(東洋大学)

共催:アジア文化研究所(ACRI)、東洋大学                             イスラーム地域研究センター(KIAS)、京都大学                    イスラーム地域研究所(SIAS)、上智大学
ケナン・リファーイー・スーフィズム研究センター(KR)、京都大学

本合宿は下記の補助金等の助成を受けた共同研究の成果である
「非アラブにおける穏健イスラームの研究:インドネシア・パキスタン・トルコの事例から」(科研費 基盤研究(A)、JSPS JP22H00034)
「スーフィズムの総合的研究:思想・文学・音楽・儀礼を通して」(科研費 国際共同研究加速基金(国際共同研究強化(B))、JSPS JP21KK0001)
「イスラームおよびキリスト教の聖者・聖遺物崇敬の人類学的研究」(科研費 基盤研究(A)、JSPS JP19H00564)
「大日本回教協会旧蔵写真資料の国際共同研究」(科研費 基盤研究(B)、JSPS JP19H04369)
「現代イスラームにおける公共性再構築をめぐる動態の研究」(日本私立学校振興・共済事業団学術研究振興資金)

2024年3月18-19日 2024 AFOMEDI Conference”Spaces of Familiarity, Spaces of Difference in the Mediterranean” 報告

 

地中海研究機関アジア連盟(Asian Federation of Mediterranean Studies Institutes, AFOMEDI)第4回国際会議“Spaces of Familiarity, Spaces of Difference in the Mediterranean” 報告書

 

棚橋由賀里・本間流星・森口遥平
第4回目となるAFOMEDI国際会議、“Spaces of Familiarity, Spaces of Difference in the Mediterranean”(地中海における親しみの空間、差異の空間)が、台湾国立の学術研究機関である中央研究院歴史語言研究所にて開催された。コロナ禍以降初となる対面開催であり、3月18日(月)と19日(火)の2日間で計17のパネル・セッションが組まれ、歴史学・考古学・文学・人類学・文献学といった様々な観点から研究発表が行われた。これまでは台湾・韓国・日本の研究機関が中心となってきたが、今回は欧米、中東・北アフリカ、東南アジア、オセアニアと幅広い地域の研究者が参加し、非常に活気に満ちた会議となった。
参加学生の報告書は以下のとおりである。

棚橋由賀里
報告者は、ポルトガルの侵攻に苦しんだ15–16世紀のモロッコを研究対象としているため、中世・近世の地中海における外交、戦争、海賊行為などを扱ったパネルに関心を持った。特に以下の発表が興味深かった。1日目第2セッション“The Limits of Familiarity in Sixteenth-Century Cross-Confessional Mediterranean Diplomacy”におけるRubén González Cuerva氏(スペイン国立研究評議会)の発表“Familiarity beyond Religion? Patterns of Negotiated Exchanges in Habsburg-Hafsi Diplomacy (1535-1573)”は、オスマン帝国に対抗してスペイン・ハプスブルク家とチュニジアのハフス朝が結んだ同盟関係に関して、主に贈り物・書簡の交換や翻訳活動といった形式の交流に光を当てたものであった。両者の緊張関係が、信仰する宗教によってではなく、外交において文書と口頭の会話のいずれを重視するかという様式の違いによって露わになった点が興味深かったとともに、宗教以外の対立軸を考慮する必要性を再認識した。また同日第5セッション“Violence and the Sea in the Medieval Mediterranean”におけるTravis Bruce氏(マギル大学)の“Medieval Maritime Violence and Mediterranean Spiritual Economy”は、中世地中海の海事における受難、すなわち海戦・海賊行為によって略奪や身体拘束を扱ったものである。暴力を被る経験は、キリスト教徒・ムスリム双方にとって、敬虔な信徒が信仰心によって苦難を耐え忍ぶ物語や、神が信徒たちを拘束や虐待から救うために介入する物語を生み出したほか、富裕な者にとっては自らの富を身代金の支払いすなわち同胞救済に擲つという一種の浄化行為を行う機会となったという。苦難の経験を宗教的な文脈でプラスに転換するという現象に関して、“spiritual economy”あるいは“spiritual capital”という枠組みを用いた研究は、本邦の心性史研究では菅見の限り出会ったことがなく、新鮮であった。
報告者は、2日目の第13セッション“Islamic Spaces and Colonial Resistance”において“Social Reform in the 15-16th Centuries Morocco Tackled by the Sufis of al-Ṭarīqa al-Jazūlīya”というタイトルで発表をおこなった。内容としては、ポルトガルの侵攻に苦しむ15–16世紀モロッコにおいて、これまで「スーフィー教団」という枠組みで語られてきたタリーカ・ジャズーリーヤという道統のスーフィーたちの社会改革について、宗教教育・政治参加・慈善活動といったトピックを挙げてその個別性・多様性を論じたものである。コメンテーターのTravis Bruce氏(マギル大学)からは、“Colonial Resistance”というテーマと関連した議論を求められた。報告者は、外部からの征服に対する反応として宗教的な純粋さを取り戻そうとする機運が生じること自体には時代を超えた普遍性があるとしつつも、国民国家の概念が存在しなかった前近代モロッコにおいて、集団的な抵抗を想起させる“Colonial Resistance”という語を安易に当てはめることには慎重でありたいと述べた。
(以上文責:棚橋由賀里)

報告者が特に関心を抱いたのは、1日目の第6セッション“Political Cultures and the Shaping of Spaces”におけるPeter Kitlas氏(ベイルート・アメリカン大学)の発表“Scribal Spaces and Diplomatic Knowledge Production in the Eighteenth-Century Muslim Mediterranean”である。本発表は、18世紀の地中海地域におけるムスリム外交官らの知的・文化的コンテクストを、当時の北アフリカとオスマン帝国に焦点を当てて考察するというものであり、そこでは前近代から近代の転換点という時代の中でムスリム個々人が地中海地域の外交において果たした役割が示された。地中海地域のムスリム外交官らの知的営為を「書記文化(scribal culture)」という枠組みで論じた本発表は、ムスリム地域の外交史研究のみならず、思想・文化研究への幅広い視点をも有していた。
報告者は、2日目の第13セッション“Islamic Spaces and Colonial Resistance”において、“Ashraf ‘Alī Thānavī and Sufi Metaphysics: The Modern Development of the School of Ibn ‘Arabī in South Asia”と題した発表を行い、これまで看過されてきた近代南アジアのイブン・アラビー学派に関して、デーオバンド派の学者且つチシュティー派のスーフィーであったアシュラフ・アリー・ターナヴィー(d. 1943)の著作群に着目して論じた。コメンテーターのTravis Bruce氏(マギル大学)からは、イギリス植民地期という政治的・社会的文脈により関連付けた議論を求められた。それに対して報告者は、ターナヴィーのスーフィー形而上学と植民地期南アジアの政治・社会の密接な関わりを現時点では見出せていないと断りを入れた上で、ムスリム連盟のパキスタン建国運動における晩年のターナヴィーの関与について説明した。
「地中海地域における親近性/相違性の空間」が大きなテーマとして掲げられた今大会では、キリスト教とイスラームを中心に多くの異なる宗教文化が歴史的に交差してきた当該地域において、それら諸宗教が如何なる仕方で政治的・社会的・知的に関わり合い、対立・調和を繰り返してきたのかという点に着目した発表が多かったように思われる。また、地中海には直接的に面していない東・東南アジアを含む広範な諸地域に関しても頻繁に論じられ、「地中海地域」という概念自体に対する再検討の試みが見られた点は、今後の研究の裾野を拡げるという意味でも大きな意義があったと考える。
(以上文責:本間流星)

本学会のテーマは地中海の研究であったが、AFOMEDI運営メンバーである東長靖先生のご厚意で発表の機会をいただいた。私の発表は大会2日目に「大学院生ワークショップ」と題されたセクション内でおこなわれた。10分の発表後、コメンテーターのフィードバック、聴講者との質疑応答というスタイルだった。報告者は、予備論文で論じた前近代南アジアのイスラーム神秘主義思想に関して発表した。北アフリカのイスラーム法学を専攻するコメンテーターとのディスカッション、多様な研究関心を持つ聴講者との質疑応答は、博士予備論文を書き終え、博士論文に向けて学問的関心を広げるという点で有意義だった。本学会は、東アジアや東南アジア、ヨーロッパやアメリカからの60名ほどの参加者がいたが、様々な文化的背景を持ち、多様な研究をおこなう教授や院生と学会中を通じて交流を楽しむことができた。今後、共同研究などに繋げていきたいと思う。また、1日目のTeofilo Ruiz氏(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)によるキーノートスピーチ“In Search of Deliverance: Lived Experiences of Mediterranean Space in the Past and Present”では、同氏の人生が語られたが、出身地のキューバの社会混乱など様々な逆境に置かれつつも、研究し続けたという内容に感銘を受けた。
以下は、報告者が中央研究院に滞在するなかで得た所感である。まず指摘したいのは、構内で多くのインド人研究者を目にしたことである。先日、京大の学内広報誌で「日本および京都大学はインド人学生・研究者の招へいを進めている」と読んだが、自国外の優秀な研究者や学生の獲得競争がアジアでも本格化していると感じた。このことは、前回まではアジアからの参加者のみであったのに対して、今回は世界中からの参加者がいたことと無関係ではないはずだ。また、もう一点報告者が注目したこととして、会場補佐を担当していた学生の英語力の高さが挙げられる。会場内での英語対応や学会後の懇親会での参加者との会話などを耳にしただけだが、いずれも円滑におこなっていた。このことも台湾の大学が国際化に力を入れていることの傍証だと思われる。
(以上文責:森口遥平)

2023年度第3回「穏健イスラーム」研究会 報告

 科研基盤A「非アラブにおける穏健イスラームの研究-インドネシア・パキスタン・トルコの事例から」                                       2023年度第3回研究会(「穏健イスラーム」研究会)
【日時】2024年2月4日(日曜日)13:00~17:00
【場所】京都大学吉田キャンパス本部構内 総合研究2号館4階 AA415(第1講義室)
【報告1】新井和広                                     「ハビーブ・ウマルとインドネシアの穏健イスラーム」
 本報告ではインドネシアの穏健イスラームにおけるアラブ系の活動について、ハドラマウト(南アラビア)のタリームで宗教学校を運営しているウマル・ビン・ハフィーズ(ハビーブ・ウマル)の活動に焦点を当てて論じた。ハビーブ・ウマルは1990年代以降にハドラマウトとインドネシアの人的交流が復活した後、インドネシアで最も良く知られるようになったハドラマウトの宗教者である。彼がタリームに設立した宗教学校「ダール・ムスタファー(預言者の家)」には多くの東南アジア(インドネシア、マレーシア、シンガポールほか)出身者が学び、卒業生たちは帰国後独自にダアワ(イスラームへの呼びかけ)を行っている。またウマル本人も毎年インドネシアを訪問し、ジャワを中心とする各地で大規模なダアワ集会を開催している。                         ハビーブ・ウマルの思想の特徴はハドラマウトの伝統的な宗教活動の継承、啓示・スンナの重視、ダアワの強調であるが、その中で穏健・平和へのメッセージが本プロジェクトと最も密接に関連している。具体的には集団間の対話、対話する相手への敬意、信徒の内面などを重視している。彼の著書『イスラームにおける中庸(al-Wasatiyya fi al-Islam)』は2003年6月1日にハドラマウト大学教育学部で行った講演の記録だが、インドネシア語でも『穏健な宗教:イスラームの教義の真実の再興(Agama Moderat: Menghidupkan Kembali Hakikat Ajaran Islam)』というタイトルで出版されている。そこでは「穏健」をシャリーアの本質を理解すること、啓示の本質と位置づけ、さまざまなテーマに従って穏健とは何かを論じている。全体としてはイスラームを穏健な宗教と位置づけているが、そこにウマル独自の理論を見つけることは困難である。               ウマル自身は政治や政府の政策に直接関わることを避けているし、弟子たちにも政治に関わることを禁じている。しかしウマル自身の言葉は事あるごとに周りに解釈され、選挙運動などに利用されている。それはウマルが曖昧かつ常識的な言葉で語っていることに因っている。いずれにしてもナフダトゥル・ウラマ(NU)とも近いウマルは今後もインドネシアの(穏健)イスラームに一定の影響力を及ぼしていくであろう。
【報告2】三沢伸生                                                                                            「トルコにおける「ウルムル・イスラーム( ılımlı İslam )」の検討」               
 本報告はトルコにおける「穏健イスラーム」が言説的にどのように認識・共有されているのかを、新聞メディアでの使用事例数の経年推移からの検証作業を報告するものである。そのためにアメリカおよびイギリスの新聞メディアの、Islamic Fundamentalism、Moderate Islam、さらには日本の『読売新聞』の「穏健イスラーム」の使用頻度の経年推移をみた。アメリカでは2002年以降になってModerate Islamの使用が始まり急増している。すなわち現在の「穏健イスラーム」の言説はアメリカで形成、世界に敷衍し、やがてトルコでも訳語として「ウルムル・イスラーム」概念が用いられだした。しかし、社会的基盤は弱く、むしろ政治的な意図で用いられているのが現状と理解できる。今回の調査をもとに量的調査に満足せず、今後は質的調査も実施したい。

2024年2月2日 鹿島学術振興財団「イスラームの宗教施設と都市空間との融合:モスクに集うムスリムたちの日本社会との共生」現地調査を実施しました

鹿島学術振興財団「イスラームの宗教施設と都市空間との融合:モスクに集うムスリムたちの日本社会との共生」現地調査を、2024年2月2日に静岡県静岡市と愛知県名古屋市のモスクで実施しました。

Lloyd Ridgeon先生講演会 “Rūmī’s criticism of Awḥad Al-Dīn Kirmānī’s shāhid-bāzī” 報告

講演会”Rūmī’s criticism of Awḥad Al-Dīn Kirmānī’s shāhid-bāzī

【日時】1月16日(火)16時~18時
【場所】京都大学本部構内総合研究2号館4階 会議室(AA447)

【プログラム】
Dr. Lloyd Ridgeon (University of Glasgow) , “Rūmī’s criticism of Awḥad Al-Dīn Kirmānī’s shāhid-bāzī”.

2024年1月16日に、京都大学吉田キャンパス総合研究2号館4階会議室において、グラスゴー大学のロイド・リッジョン博士による講演会が開催された。講演タイトルはRūmī’s criticism of Awhad al-Din Kirmani’s shāhid-bāzīである。ケルマーニーはシャーヒドバーズィー (shāhid-bāzī)を重視したことで有名なスーフィーであるが、シャーヒドバーズィーはしばしば美少年愛と同一視される。ケルマーニーより半世紀ほど遅れて活躍したスーフィー詩人ルーミーが、シャーヒドバーズィーをどう評価していたかを、リッジョン博士は彼の詩を用いて考察した。この用語には、美少年愛という世俗的な意味のほかに、イスラーム法学における証人、スーフィズムにおける「神の美を観照する人」という意味があり、ルーミーは一般に後者の解釈をとったと考えられるが、前者の可能性も捨てきれないとした。なお、博士は現在ルーミーに関する新しい著作を準備中で、本発表の内容はその一部となる予定とのことであった。

2023年度第2回「穏健イスラーム」研究会 報告

科研基盤A「非アラブにおける穏健イスラームの研究-インドネシア・パキスタン・トルコの事例から」                                       2023年度第2回研究会(「穏健イスラーム」研究会)

【日時】2023年11月12日(日)
【場所】オンライン

【報告1】佐々木拓雄「インドネシアのイスラームにおける宗教多元主義―カルティニからヌルホリス・マジッドまで」

宗教間調和が課題であるインドネシアのイスラームにおいては、超越的な神のもとでの宗教の多元性と平等性を唱える「宗教多元主義」が一つの思想的潮流として展開してきた。報告では、既発表の論文(佐々木拓雄「宗教間の調和のために−宗教多元主義を唱えるインドネシアのムスリム知識人」『久留米大学法学』80号、2019年)をもとにその展開をたどり、いくつかの考察を加えた。
インドネシアのイスラームにおける宗教多元主義は、その系譜をオランダ植民地時代のカルティニまで遡ることができ、スカルノによって建国の理念にも投影された。1960年代末以降、それが一部の「ムスリム知識人」によって継承されたことがさらに重要で、その代表的人物としてアフマド・ワヒブ、ジョハン・エフェンディ、グス・ドゥル、ヌルホリス・マジッドなどがいる。その知的営みの背景にスハルト政権による庇護が存在したことは否定できないが、彼らの思索そのものの深さゆえに宗教多元主義が生き長らえてきたという側面もあるだろう。
考察・検討の際に焦点となったのは、ヌルホリスによる「クルアーンに依拠した」宗教多元主義の唱導である。大胆な試みでありながら、それは、Thomas Bauer, A Culture of Ambiguity (New York: Columbia University Press, 2021)などが指摘するところの「テキスト(文字)に依拠して単一の答えを導きだそうとする」西欧近代由来の思考様式に準じてなされるものだともいえ、イスラームが元来備えていたという「曖昧さ(多元性)の文化」や宗教多元主義の可能性そのものを狭めるリスクを孕んでいる。一方で、Bauerらの近代イスラーム批判についての検証はまだ十分でなく、それは今後の課題となる。

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【報告2】赤堀雅幸「穏健イスラームとイスラーム穏健派の間:『イスラームの人類学』とフィールドワーク」

タラル・アサドの「言説伝統」の概念を受けて、現地調査に基づく民族誌的記述に言説伝統概念を活かす可能性について、エジプト西部砂漠のベドウィンの3人の人物を取り上げて論じた。近しい親族である3人が、公教育を受ける中で「正しいイスラーム」をめぐって異なる姿勢を取りつつ交流する様子や、1993年と2011年という時間の経過とともにイスラームへの姿勢も変化する様子に目配りをした。これを踏まえて、現実の言説伝統形成の場がきわめて流動的に形成されると同時に、イスラーム急進派のみではなく、イスラーム穏健派もまた一個の言説伝統を作り出す規律訓練的な権力作用としての側面をもち、それが参照する理念、あるいは現実としての「穏健イスラーム」とは何であるかについても検討すべきであることを提言した。さらに、イスラーム急進派に対する他律的な運動としての性格がイスラーム穏健派に見られ、結果として宗教的ナショナリズムなど、イスラームそのものの正しさとは異なる方向性がそのなかに胚胎されがちな点も指摘した。不十分な発表ではあったが、幸いに多くの質問やコメントが得られ、とくに「穏健」に変わり「中道」概念を用いるという可能性の議論は、二元的な枠組みを三元的に捉え直す意味も含めて重要と思われた。