Ruh Allah Khomeyni

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[107] Rūḥ Allāh Khomeynī, Moṣṭafā Aḥmad al-Mūsavī (d. 1409/1989)
روح الله مصطفى أحمد الموسوي الخميني‏

ホメイニー Ruh Allah Mostafa Ahmad al-Musavi Khomeyni

1902年、中央イランのホメインで、代々ウラマーを輩出した家系に生まれる。自身もコムで、法学のみならず倫理学や神智学を修め、教鞭を執った。

1944年、『諸神秘の開示』(Kashf al-asrār)を無記名で出版し、パフラヴィー朝下の近代化を批判したあたりから、政治活動に身を乗り出し始める。政治不介入の立場をとったマルジェイェ・タクリードのボルージェルディー(1962没)に敬意を表してその存命中には表立った活動を控えていたが、没後すぐに行動を開始し、1963年には、反イスラーム的近代化を謳ったモハンマド・レザー・シャーの白色革命に激しく異を唱えたことで、コムの学院を軍隊に蹂躙された挙句に逮捕された。翌年釈放されたものの、王政批判の手を緩めなかったことから、同年中に再逮捕され、国外追放となった。

以来、約15年におよぶ亡命生活を送ることになるが、この間も、国外からイランの大衆に向けてパフラヴィー朝の統治を非難するメッセージを送り続け、1970年には、後のイラン・イスラーム共和国の国是となるヴィラーヤテ・ファギーフ(法学者の統治)論を発表し、王制打倒への意欲を失わなかった。

1979年、ついにイラン革命を成功させて、イラン・イスラーム共和国の最高指導者に就任し、約10年の統治期間のほとんどをイラン・イラク戦争に費やしたのち、激動の生涯を閉じた。

驚異の革命人生に眼を奪われて忘れられがちであるが、神智学に造詣が深く、カイサリーの『〈叡智の台座〉注釈序文』(Muqaddima)にたいするゴムシェイーの注釈や、クーナウィーの『玄秘の鍵』(Miftāḥ al-ghayb)にたいするファナーリーの注釈『親愛の灯火』(Miṣbāḥ al-uns)に疏をつけている、歴としたイブン・アラビー学派人士である。(中西 竜也)

※ ファナーリーのMiṣbāḥ al-unsへの疏 → [107-14]


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