Muhyi al-Din Ibn Arabi

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[1]  Ibn ʻArabī, Muḥyī al-Dīn Muḥammad b. ʻAlī (d. 638/1240)
محيي الدين محمد بن علي بن العربي‏

イブン・アラビー Muhyi al-Din Muhammad b. Ali Ibn Arabi

著名なスーフィー思想家。存在一性論、完全人間論を創唱し、後代に大きな思想的影響を及ぼした。

アンダルスのムルシアでアラブの家系に生れ、青年期はアンダルスで法学・ハディース学・神学などを学んだ。病気の際の幻視体験からスーフィズムに入り、30歳代はアンダルスおよびマグリブを遍歴。カイロやエルサレムを経てマッカに滞在した後、1205年頃アナトリアに移住。最後はダマスクスに居を構え、同地で没した。現在でも聖者として敬われ、カシオン山の中腹にある彼の墓廟に詣でる人は絶えない。墓廟のある地区は、彼の名の一部にちなんでムフイッディーン地区と呼ばれている。

スーフィーとして著名であるが、ザーヒル学派の法学者としても広く知られていた。生前から多くの支持者に支えられ、行く先ざきで尊敬・歓迎されたが、カイロにおいては、その主張のゆえに暗殺されかかっている。

生涯に数百点の書物を遺したが、おもなものに、大部な『マッカ啓示』(al-Futūḥāt al-Makkīya)、比較的短いため後代に多くの注釈を付された『叡智の台座』(Fuṣūṣ al-ḥikam)、神秘主義詩『欲望の解釈者』(Tarjumān al-ashwāq)、アンダルスの聖者列伝である『魂の助言における聖霊』(al-Rūḥ al-quds fī munāsaḥa al-nafs)などがある。彼の著作に関しては、Osman Yahia, Histoire et classification de l'oeuvre d'Ibn 'Arabī : étude critique, 2 vols., Damas, 1964が基本文献である。

彼の魁偉な思想を論理的・哲学的に体系化したのは、彼の直弟子であったクーナウィーである。

彼の知的影響はスンナ派、シーア派を問わず、イスラーム世界のほぼ全域におよんでいる。アラビア語世界ではアブドゥッラッザーク・カーシャーニージーリーや、オスマン朝下のシャアラーニーナーブルスィー、ペルシア語世界ではハイダル・アームリージャーミーや、サファヴィー朝下のムッラー・サドラー、トルコ語世界ではオスマン朝のイスマイル・アンカラヴィーイスマイル・ハック、南アジアではムガル朝のシャー・ワリーウッラー、東南アジアではハムザ・ファンスーリー、中国では劉智馬德新らが、彼に連なる思想を展開した。(東長 靖)


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