Muhammad ibn Ahmad ibn Tahir

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[19] Muḥammad ibn Aḥmad ibn Ṭāhir (d. after 736/1336)
محمد بن أحمد بن طاهر‏

ムハンマド・イブン・アフマド・イブン・ターヒル Muhammad ibn Ahmad ibn Tahir

人名は「Ibn al-Ṭāhirとして知られるMuḥamad b. Aḥmad al-Shāfiʻī」としか分からず、生涯も不明。『詳細な情報』(Laṭā’if al-iʻlām)中でアラーウッダウラ・スィムナーニーを物故者として扱っていることからかろうじて没年がスィムナーニーの没年(1336年)以降であることが分かる。

Pablo Beneitoの研究により、『詳細な情報』以外の『比類なき真珠』(al-Durra al-farīda)、『決定的な証拠』(al-Dalā’il al-qaṭʻīyah)、『教訓の覚書』(Tadhkira al-fawā’id) の三著作もイブン・ターヒルの作とされる。『詳細な情報』と『比類なき真珠』にはイブン・アラビーの『神名の神秘についての意味の解明』(Kashf al-maʻnā ʻan sirr asmā’ Allāh al-ḥusnā) の注釈にあたる部分があること、『比類なき真珠』に『「叡智の台座」難読箇所への注』(Tafsīr mushkilāt Fuṣūṣ al-ḥikam)と題される書が挿入されていることから明らかにイブン・アラビー学派に属する。他方、作者がアラーウッダウラ・スィムナーニーの弟子でもあり、クブラウィー教団に属すことが著作中で明言されている。同じスィムナーニーの弟子であるアリー・ハマダーニーが『叡智の台座』注釈を著し、あえて師の目撃一性説に反対し、イブン・アラビーの存在一性説を支持したのと同様に、イブン・ターヒルの存在も、クブラウィー教団の伝統中にイブン・アラビー学派の伝統が共存しえたことを証する一例であろう。

なお、オスマン・ヤフヤーがMuḥammad Ṭāhir ibn Muḥammadなる人物を『天球の創造』(Inshāʼ al-dawā’ir)注釈者として挙げている(Yahia, Histoire, p. 289)。ここでイブン・ターヒルとして挙げた者がその注釈者なのかもしれない。(仁子 寿晴)

参考文献
Yahia, Osman. Histoire et classification de l'oeuvre d'Ibn 'Arabī : étude critique. 2 vols., Damas, 1964.


[19-R] 研究書

§[19-R]

◆ (0618 ) ITah-Research-1 =BA4697745X
Beneito, Pablo. An unknown Akbarian of the thirteenth-fourteenth century : Ibn Ṭâhir, the author of Laṭâ'if al-iʻlâm, and his works. Kyoto : Graduate School of Asian and African Area Studies, Kyoto University, 2000. 57 p.

  • シリーズ: ASAFAS special paper ; no.3
  • 所蔵: 京大東南ア